日本に宗教が根付いていないのは会社が宗教の役割をになってきたから?

  • 2018年11月8日
  • 2019年12月18日
  • THOUGHT
銀閣寺

「今回は日本に宗教が根付いていないのは、会社が宗教の役割を担ってきたから?」と思うことがあったので、それについて書いていきたいきたいと思います。

世界には多くの宗教があり、ほとんどの国において大なり小なり宗教が根付いているかと思います。

私たちも、分類で言えば、多くの人は仏教か神道に属するのではないかと思います。

私たちが一番宗教を感じるのは、神社やお寺にお参りするときや、お葬式のときなんかじゃないでしょうか。

私は、お葬式に参加して初めて自分が仏教の浄土真宗であることを知りました。

しかし、神道の社である神社にもお参りにいきますし、クリスマスにはケーキを食べたりもします。

多くの人がこんなもんなんじゃないかと思うんです。

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なぜ日本では宗教に対する意識が小さいのか?

ではなぜ、日本では宗教に対する意識は希薄なのでしょうか?

私は、日本では宗教の役割を担ってきたのは家族や学校、会社などのコミュニティーだと思うのです。

世界の宗教の多くは、詳しくは説明しませんが人々の「よりどころ」として機能しています。

そして、日本においては先ほどお伝えした通り、家族や学校、会社が「よりどころ」となっていると思います。

日本での学校や会社による教義とは?

学校や会社がよりどころとなり、家族は学校や会社に所属するように促すという流れです。

小さいころから両親が、

先生に従うように言ったり、

成績がよくなるように伝えたり、

いい学校に行くように言ったり。

会社では定年まで奉仕するように言ったりするのはそのせいです。

日本での学校や会社は、それが絶対的なもので、それに従っている限り報われるという考え方を今の40〜60台の多くの人が持っていると思われます。

私は何度も学校をやめようとした話

私は実は学校や会社が嫌で嫌で仕方なく、何度もやめようとしてきました。

なぜ、夏のいい天気の日に毎日1日中勉強しないといけないのか?

なぜ、成績がいいといい学校に行かないといけないのか?

本当にいやでいやで仕方ありませんでした。

大学受験の時なんかは、高校球児がテレビでかっこいい試合をしている中で、なぜ引きこもっていなければいけないのか謎でしかありません。

私は勉強ができる方でしたが、「勉強ができる」ことはあまり言ってはいけないこともいやでした。

試験前は勉強していないがっせんみたいなことも苦痛でした。

結局会社をやめた

私は社会人でなかったこともあり、何度も真剣に学校をやめようとするも両親の猛烈な反対でやめることはできませんでした。

「いい高校にいけば」「いい大学にいけば」「いいところに就職すれば」「昇進すれば」「結婚すれば」・・・

文句はいつも同じです。

現在を楽しむという思考がないんです。そして、人生の大半を将来のための待ち時間としてすごすことに嫌気がさし、会社をやめました。

やめる前は、会社をやめる思考を持った人は周りに少数ですが(当たり前のことですが)、やめた後には自分が少数派ではないと初めて実感できました。

会社をやめた後の「よりどころ」

会社をやめると、将来に対する不安は増えます。

そう、「よりどころ」となっていた会社から離れたのです。

私には今でもヘッドハンターがたくさんやってきますが、半分ほどのヘッドハンターは「離職3ヶ月をすぎると経験者として扱えない」などと言ってきて私には連絡をよこさなくなりました。

これが多分、現実です。

次働こうとすると、会社員のころより大幅な減給になるでしょう(あまり興味ないですが)。

そして、会社をやめた後は自由に好きな人とあうことができるようになり、地域のコミュニティーが「よりどころ」になりました。

自分が好きなコミュニティーを作ろう!

今後は人の移動が活発になり、会社が「よりどころ」となることは減ると思います。

友人同士でもなんでもない同僚や上司と好きでもないコミュニティーを作るよりも好きなコミュニティーに属した方がみんな気持ちいいと感じるからです。

地域の同好会のようなものや社会人サークル、オンラインサロンなども「よりどころ」となるでしょう。

多くのコミュニティーに属して刺激を受けることもできます。

また、自分が属したいと思えるコミュニティーがなければ作るのも楽しいでしょう。

私は「自然」や「生物」が好きで、そのような自然を楽しめるコミュニティーを世界中に作ってみたいです。